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Harmonia

オリジナル小説

葵 10 


家に帰って、出迎えてくれた先生にケーキの大きな箱を手渡した。

「ずっしり重いんだけど」

先生が苦笑いしている。

「おいしそうなのは全部買ってきた。あ、これ姉の奢りだから。来週の水曜日に退院できそうだって」

「そうか。良かったな」

「うん」

にっこりと微笑む先生の顔を見つめたら、この生活が間もなく終わることの寂しさで、胸がきゅっと痛んだ。僕の表情の変化に気づいたのか、先生が困ったようにふっと笑う。

「ここのケーキ、好きだよ。タルトが好きで、時々買いに行ったりする」

「一人で?」

「うん。いかにも家族の分ですって顔して五、六個買って、全部一人で食べてた」

あの店は、店員も客も若い女の子が多い。恥ずかしそうにケーキを注文する先生を思い浮かべたら、笑ってしまった。

「今度からは、ここに持ってくればいいんだな。それで、一緒に食べよう。それなら、恥ずかしくない」

「それ、いいね」

落ち込む僕を慰めるために言った言葉かも知れないけれど、本当に嬉しかった。先生が自分の家に戻ってしまっても、またここに来てくれるなんて、思っていなかったから。

ベッドですーすーと眠る葵を眺める。この世のすべての幸せをあつめたような、可愛らしい寝顔。葵が、僕と先生を繋いでいてくれる。そのことに、僕は心から感謝した。


その晩は、餃子を作った。僕の餃子はシンプルで、具は豚ミンチとキャベツとニラだけだ。でも、絶品と姉からのお墨付きをいただいている。焼きたて熱々の餃子を口にして、先生はおいしい!と目を輝かせた。

「本当に諒くんの手作り?お店のみたいだ」

「でしょ?台湾人の友達に教えてもらった本場の味。冬は皮も手作りして水餃子にするんだ」

「それもおいしそうだなあ」

「うん。寒くなったら食べに来て。とっておきのをごちそうするよ」

楽しみだな、と先生は目を細めた。僕も楽しみだ。冬でも、いつでも、先生に、ここにいて欲しい。


餃子ですっかり満腹になった僕たちだけど、起きた葵のお世話をしていたら、またすぐに小腹が空いてきた。ケーキの登場だ。先生も密かに待っていたらしく、僕がケーキ、と言うと、そそくさとお茶の準備に取り掛かる。
先生はマンゴーのタルトとチーズケーキを選んだ。僕は桃のタルトとオペラ。先生は桃も捨て難そうだったから、半分こして食べる。先生が淹れてくれた紅茶は、フォートナム・メイソンのダージリンで、ケーキとよく合っていておいしい。

「先生、将来の夢ってある?」

食べながら、そう尋ねてみた。先生は少しの間考えて、答えた。

「そうだな。…まだ読んでいない素晴らしい本と出会って、自分で翻訳したい。で、いつか自分でも書いてみたい」

「自分の本?」

「元々作家になりたかったんだ。だけど、まだ世に送り出せるような文章が書けない。先達には到底及ばない。本だけはやたらと読んで生きてきたから、自分の中にすごく厳しい批評家がいるんだ」

「自分との戦いなんだ」

「うん。結局足りないものがあったんだ、僕には。ごく最近それに気づいて、今は何となく書けそうな気がする」

「足りないものって?」

僕が尋ねたら、先生は微笑んだ。

「…諒くんの誕生日は、いつ?」

突然話題を変えられる。

「九月三日」

「もう少しだね。二十歳になったら、一緒に飲もう。お酒、大丈夫?」

「多分」

「じゃあ、とびきりおいしいワインを用意しておくよ。お祝いしよう」

「先生、お酒飲むんだ」

そういう雰囲気が全然ないから、驚いた。

「たくさんじゃないよ。おいしいのを少しだけ。…諒くんの夢は?」

逆に尋ねられる。僕は即答した。

「そうだな。もっとたくさん本を読んで、フランス語ももっと勉強して、大学卒業したら留学したい。先生みたいな翻訳者になりたいな」

「僕みたいに?」

「うん。ずっと憧れ続けて、今も追いかけてる。だから、すごく不思議なんだ。今の状況が。そんな人と一緒に葵の面倒見たりしてるなんて」

先生が微笑む。そうだね、確かに不思議な状況だ、と言いながら。しばらく間が空いた後、先生がぽつりと呟いた。

「…僕は、君みたいになりたいけどな」

とても小さな声だったから、僕は思わず、え?と聞き返した。

「僕は、君に憧れてる。君は、若いのにとてもしっかりしていて、ひとに優しくて、何事にも熱心で。僕は、学生の頃、ちっともそんな風じゃなかった。自分自身のことに一杯いっぱいで、ただ毎日をやり過ごして生きていたから。…君が、とても眩しく見える」

言った後で恥ずかしくなったのだろうか。また頬を赤らめて俯く先生が、どうしようもなく可愛い。抱きしめたい衝動に駆られるけれど、ここはぐっと我慢して、言った。

「先生、小説が書けたら、僕に読ませて」

「…」

「一番に読ませて。約束」

そう言って、小指を差し出す。先生はおずおずと手を伸ばして、僕の小指と自分の小指を絡める。お互い照れくさくて、子供みたいにぶんぶんと腕を振って指切りげんまんをした。

「辛口な批評は止めてくれよ。本気で落ち込む」

「レポート書いて提出するよ。二十枚くらいでいい?」

僕たちはそう言って、笑いあった。



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Posted on 2013/10/19 Sat. 23:40 [edit]

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