Harmonia
オリジナル小説
FOREVER LOVE
「フォーエーバーラーブ、ウォージーシャン何とかなんとか~」
いいかげんな中国語で歌いながら、優貴は機嫌よさそうに洗濯物を干している。はっきり言って、ものすごい音痴だ。
最近優貴は中国語の音楽にはまっていて、部屋でも車の中でも、好んでCDを聴いている。そして今朝は、咆哮に近い歌声を響かせていた。
「ニーウェイシー、……次、なんだっけ」
「所有」
「そうそうソーヨオオオオオオ~」
上がるだけ上がって、ひっくり返った裏声はまるで断末魔の叫びだ。そのあまりの音痴さに、僕は思わずブフッと吹き出してしまった。
「ひどすぎる」
「いいの。どんなに下手くそって言われようが、いま僕は歌いたいんだ」
そう言ってまた歌い始める。フォーエーバーラーブ。
来日した僕の家族の前で、正式に恋人として紹介してから、優貴は変わった。
「まず、定職に就きます」と宣言して、夜間の調理師専門学校に通い始めた。
さいわい高校卒業後からずっとバイトをしていたイタリアンレストランのオーナーがとてもいい人で、「パティシエになりたい」という優貴を親身になって応援してくれたのだ。
昼間はレストランで見習いとして働き、夜は調理師専門学校の製菓科に通う、そんなハードな生活を二年間続けて、ようやく卒業した優貴はレストランの専属パティシエとして正式に雇われたのだった。
優貴の作るケーキは、とにかくフルーツが盛りだくさんで、大ぶりな上に一度食べたら絶対に忘れられないほどのこってりとした甘さだ。そんなケーキがスイーツ好きの女性たちの間で評判になり、すっかり気をよくしたオーナーが店舗の入り口を増築してケーキショップを併設した。
そんなわけで、出勤日の優貴は朝四時に起床、五時から働き始め、帰宅は二十二時を過ぎる。
帰宅するや泥のような眠りに落ち、折れそうに細かった身体は鍛えられ、ぐっと逞しく、男らしくなった。
僕も中国、東京、そしてこの街を行ったり来たりの生活で、すれ違いの日々が多くなり、会えない淋しさからおたがいに苛立ちが募ったり愚痴が零れたりすることもある。それでもなんとか折り合いをつけて、この三年間恋人として変わらずに付き合い続けてきた。
それはきっと僕自身が、会えない淋しさよりも優貴が生き生きとしている姿を見ることに、喜びを感じているからだ。
フリーターだった頃の優貴は、いつもどこか自分に自信がなさそうで、遠慮がちで控えめで、僕に言いたいことがあっても言ってくれなかった。
それが今では、遠慮なく僕にものを言う。明るく、屈託なく笑う。ようやく本当の優貴の輝きが現れたようで、僕は嬉しくなる。
殺人的な音痴さえも可愛くて、近づいて後ろからぎゅっと抱きしめる。肩に顎を乗せると、くすぐったがりの彼は「うわあっ」と叫んで首を竦めた。構わず顎をぐりぐりと押しつける。悲鳴をあげながら優貴が身を捩る。
しばらく悶えていて、ようやく笑いがおさまった優貴が、突然改まった声で言った。
「トントン、お願いがあります」
「なんでしょう」
咳払いをして、優貴は続ける。
「今度中国の家に帰る時、僕も一緒に連れて行ってほしい」
「いいよ。休みはとれるの?」
「前もってわかっていたら、取るから」
背後にいるから、優貴の表情はわからない。でも、体がこわばっている。
「大連に行きたいの?」
「いや、それもあるけど、そうじゃなくて」
えーと、だから、と優貴の歯切れが悪くなる。
ふーっと深呼吸して、意を決したように勢いよく振り返った。
「挨拶に行こうと思ってる。息子さんを僕にくださいって」
「……え?」
「トントンほどは稼げないけどさ、でもようやく僕も一人前になれたかなって思ってるんだけど、ダメ?」
「いや、それは、でも結婚するわけじゃないし……」
「するよ、結婚」
「はい?」
「トントンは、僕と結婚するの」
すっぱりと言い切られて、はあ、と情けない返事しか出てこなかった。
「トントンは、嫌?」
まんまるな目が不安そうに揺れている。でも視線を逸らさない。こういうところが強くなったんだなあ、と思う。いい変化だ。
「したいです。結婚しましょう」
「やったあ!」
優貴が飛び上がって、ぎゅっと抱きしめ返される。
「僕、このために頑張ってきたんだからな」
「うん。本当によく頑張りました」
「これで胸張って挨拶に行ける」
「そうだね」
「隠してたけど、三年前からずっと中国語も勉強してるんだ。毎日オンラインで。実はトントンが電話で中国語で話してたりすること、十分の一くらいは聞き取れてる」
「それは迂闊だったな」
「時々めちゃくちゃ惚気てるよね、トントン。聞いてるこっちが恥ずかしくなる」
そんな事聞かされてる僕の方が何倍も恥ずかしいに決まってる。仕返しに鼻先を摘まむと、「いてて」と叫びながらも、優貴は満面の笑顔だ。
「だから、ご両親への挨拶もできるよ。ちゃんと練習しておくから」
「なんだかすっかりいい男になりましたね、優貴」
「だって、トントンに見合う男になりたかったんだ」
「僕はもうとっくに気持ちで負けてるような気がしてきました。もっと頑張らなければ」
優貴の額に、僕の額をくっつける。コツ、と硬質な音が響く。
「もう、そのままでいいよ。トントンは」
吐息交じりで呟いた優貴の頬を撫でる。にっこりと優貴が微笑む。いい顔だなあ、と思って僕も笑う。そうやって、額をくっつけたまま僕たちは微笑みあう。なんというしあわせだろう。
「結婚式はうちのレストランでやるんだ。そこで僕が歌う」
「はあ」
「だから練習してるんだ。フォーエーバーラーブ~」
「……本気で?」
僕はいつだって本気だよ。そう言って、またあの調子っぱずれの怪しい中国語が響く。
本当に三年間勉強してきた? って聞いたら、きっと拗ねて口きいてもらえなくなるんだろう。
そういう面倒くさいところもまた、大好きなんだけど。
おわり
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