FC2ブログ

11 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 01

Harmonia

オリジナル小説

春風 5 


 スタジオに入るとすでに数人の女性たちが準備を整え、座っていた。二十代から三十代半ばあたりの年齢だろうか、パステルカラーの華やかな服装で、濃紺のジャージ姿で入室するのはあまりにも場違いな気がして気後れしてしまう。入り口辺りでもじもじと佇む菫に気づいた桜庭が笑顔で駆け寄ってきた。
「ヨガではマットを使うから、これを持って空いた所に敷いて、あとは始まるまでリラックスして過ごして」
 ラベンダー色のヨガマットを受け取り、女性たちの輪の一番端っこにマットを敷いて座る。女性たちは皆ジャージ姿の菫に一瞬「え? なにこのひと」という表情を浮かべたが、それでも笑顔で「こんにちは」と挨拶をしてくれた。菫もおどおどと挨拶を返す。

 室内にはいかにも癒し系なシンセサイザーの音楽が流れていて、女性たちはマットの上に胡座で座って談笑している人もいれば、腕を伸ばしたり目を閉じて静かに過ごしている人もいた。
 桜庭が「ではこれからベーシッククラスのヨガレッスンを行ないます。よろしくお願いします」と両手を胸の前で合わせてお辞儀した。女性たちも同じように手を合わせ、一礼する。きょろきょろと回りの様子を伺いながら、菫も真似をして両手を合わせた。
 すると突然桜庭が歌い始めた。聞いたことのない言葉の、不思議なメロディーだ。合わせて歌う女性もいるし、黙ったまま祈りを捧げる人もいる。なんだか宗教っぽくて怪しいなあと思いながら、そのまま両手を合わせていた。
 歌を終えた桜庭が、「今日は初めての方がいらっしゃいますので、あらためてヨガで一番大切なことをお話したいと思います」と切り出した。

「いまの祈りは『マントラ』と言うもので、これからヨガを始める私たちをお守りくださいとサンスクリット語で歌ったものです。そうやって、祈りを唱えて、心と体をきれいな状態にしてからヨガを始めます。終わりにもマントラを唱え、ヨガをしている間の、心の静けさを守ってくださった神に感謝を唱えます。ここでいう神とは、特定の宗教の神を指しているではなく、この世を司る自然や宇宙やすべてのものへの敬意を示す言葉です」
 桜庭はさらに続ける。
「ヨガを始めるにあたって意識していただきたいことは、リラックスして身体の声を聞くこと。身体が硬くても、上手くポーズを取れなくても、気にする必要はありません。大事なのは、『ここが硬いな』とか『今日はここがちょっと痛いな』とか、そういった身体の違和感に気づくことです。自分がそこに気づきさえすれば、あとは身体の自己治癒力が働いて、自然にバランスを取ろうとするからです」
 フロア全員の顔を見渡してから、桜庭は声のトーンを一段上げて、ゆっくりと続けた。

「そして、リラックスするために一番大切なのが、呼吸です。深く、ゆっくりと呼吸すること。常にこのことを意識します。私たちは緊張したり、不安になったり、ストレスにさらされると、呼吸が浅くなります。現代人の多くが日々のストレスの積み重ねで慢性的な酸素不足に陥っているとも言われています。そして、身体は体調不良というかたちで必死に酸素不足であることを訴えますが、多くのひとはそれに気づかず、その結果病気を引き起こしてしまうのです」
 へえ、と思う。確かに、呼吸をするのは当たり前のことで、それを普段意識したことなど一度もなかった気がする。

「ですから、意識して深く呼吸をすれば、体調はよくなり、ストレスも消えます。心が穏やかになって、人間関係もずっとよくなります。人間は、深く呼吸しながらストレスを感じることができないからです。ですから、仕事でストレスを感じたとき、家事や育児でストレスを感じたときは、意識して深い呼吸を繰り返してみてください。そうして意識するだけで、自分の心がどれほど変化するか、その変化を楽しんで、ぜひ日常生活で試してくださいね」

 それでは、始めます、ともう一度桜庭が両手を合わせた。
「これからゆっくりとした呼吸を行ないます。膝に両手を置いて、軽く目を閉じます。鼻から息を吸って、背骨を上に引き上げて。深く息を吸ったら、今度はゆっくりと鼻から息を吐いて。お腹に少し力を入れて、もう一度息を吸いながら背骨を引き上げて。肩は力を抜いて、そっと下げて」
 呼吸に合わせながらゆったりとした声で桜庭が誘導する。
「瞑想している間、集中できなかったり頭にいろんな考えが浮かんでもまったく気にしなくて構いません。吐く息と吸う息に意識を向けて、深い呼吸を繰り返します。吸って、……吐いて……、吸って……」

 桜庭の穏やかな声に合わせて、ただ呼吸を繰り返す。その後も首を回したり、身体を後ろに捻ったり、足を前に投げ出して足先を回したり伸ばしたりと、準備運動とも言えないような緩やかな動きが繰り返される。奇妙なポーズで片脚立ちするような、もっと激しい運動的なものを想像していたから、正直拍子抜けだった。
「背骨に意識を向けて、上に引き上げて。身体を緩めたときの血の流れだとか、冷えたり温まったりするのを感じてみて」
 菫の心を見透かしたような絶妙なタイミングで、桜庭が菫に向かって声を掛けた。頭のおしゃべりに夢中になり、いつの間にか猫背に戻ってしまっていた。背筋を伸ばすという、そんな簡単な動きひとつが出来ない自分が恥ずかしくなって、慌てて菫は姿勢を正し、今度は桜庭の声に素直にしたがって、呼吸と身体に意識を向けようと試みた。


 →
 


にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ
にほんブログ村
関連記事
スポンサーサイト

Posted on 2017/03/25 Sat. 00:00 [edit]

category: 春風

thread: BL小説  -  janre: 小説・文学

TB: --    CM: --

25