05 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 07

Harmonia

オリジナル小説

春風 35 


 午後四時から幼児クラスのレッスンが始まった。ピンクのレオタードと白いタイツ姿に着替えた真季ちゃんと紗季ちゃんもレッスンに加わっている。子どもたちの母親に混じって、菫も壁際に座ってレッスンの様子を見学する。
 始まりの挨拶の後にストレッチ、そして音楽に合わせてフロアを飛んだり跳ねたり、動物の真似をしたりと、まるでお遊戯会のような光景だ。それでもバレエレッスンだけあって、手脚のしなやかな動きに重点が置かれているようだった。
 由季も多季も、一緒になって踊り、明るい声で励ましながら、まだ小さな子どもたちが踊ることを存分に楽しみながらも、レッスンへの集中力を切らさないように配慮しているのが伝わってきた。
 歳の小さな子たちは三十分ほどでレッスンが終わり、年長組だけが残ってレッスンを再開する。バーレッスンが始まり、ふたりの指導もきめ細やかになっていく。子どもたちも本気で踊っていて、小さいながらも立派なバレリーナのようだった。

 終わりの挨拶が終わったところで、ひとりの男性がにこやかにレッスン室に入って来た。「パパー!」と弾けるような笑顔で真季ちゃんと紗季ちゃんが男性に駆け寄る。
「上手にできた?」
 目尻を下げ、可愛くて堪らないといった表情を浮かべているその優しそうな顔は、だれが見ても美人と表現するであろう由季の、その夫というイメージからかなりかけ離れた、ごく普通の中年男性だった。男性としては小柄で由季よりも身長が低く、頭髪も薄くなっている。相手の容姿を気にしないところまで姉弟似ているんだな、と菫は妙なところで感心してしまった。
 立ち上がって、菫から男性に挨拶をした。
「パパ、お兄ちゃんは多季くんと仲良しなんだよ」
「さっき多季くんとチューしてたもん」
 真季ちゃんと紗季ちゃんの衝撃的すぎる爆弾発言に、菫は一瞬でその場に固まってしまう。そんな菫に、男は苦笑して「ごめんね」と言った。
「菫くんの話は多季くんや奥さんからいつも聞いてるよ」
 一瞬でその場を和ませるような、やわらかな雰囲気を持つ男に励まされ、なんとか平静を装いながら、今夜はここに泊まらせて貰う旨を伝えると、「うちは僕が主夫なんだ。いまからとびきり美味しいご飯を作るから、今夜は楽しみにしていて」とにこやかに言い残して、由季の夫は子どもたちとレッスン室を後にした。

 次のレッスンは小学校高学年から中学生のなかでも特に上級者を対象としていて、こちらはかなり本格的だった。ストレッチ、バーレッスン、そしてフロアレッスン。多季が午後から受けたレッスン内容とほぼ同じで、指導する由季の表情も掛け声もぐっと厳しさを増している。
「遅い。顔がついて行ってない」
「もう一度。体重移動が遅れてる」
 由季の鋭い声かけに、肩で息をしながら必死に応える子どもたちの表情は真剣そのもので、菫は息を詰め、そんな様子を見つめていた。
 多季が手本を見せながら、子どもたちを個別にサポートする。ほんのすこしの手の動き、肩の位置、脚の曲げ具合など、その都度注意され、動きを止められながら、それでも幾度となく繰り返し練習を重ね、ようやく「それでいい」と言われた時の、子どもたちの深く噛みしめるような表情。見ている菫の胸が痛くなるほどの緊迫した空気のなか、子どもたちは泣き言ひとつ漏らさず必死で踊り続けていた。
 幼い頃から、こんなにも厳しい世界で、多季はずっと踊ってきたのだ。踊ることだけを考えて、それが多季のすべてで。そしていま、ふたたび踊ることを決めた。その決心にまで至る多季の心情を想うと、菫の胸がじんわりと熱くなった。

 一時間半のレッスンが終わった後、多季が歩み寄ってきて、そろそろ部屋に戻ろう、と言った。
「次のレッスンは?」
「僕はいらないってさ」
 夜七時からは大人の女性を対象とした初心者向けのレッスンで、主に姿勢矯正や美脚などを目的としたストレッチがメインだと言う。「あなたがいるとみんなの集中力が切れそうだから」と由季からお払い箱にされたらしい。確かに、ヨガスクールで一部の生徒から多季に向けられる色めいた視線を度々目撃している菫にとっては、由季の言い分は十分納得できるものだった。
「……やっぱり教えるのが上手いよな。多季さんがヨガ教師として人気ある理由が分かった気がする」
「中学生の頃から幼児や小学生クラスのサポートをしてたからね。こう見えても教師歴は長いんだ」
 そんな話をしながら二階のリビングに戻ると、ちょうど由季の夫と子どもたち三人がこれから食事を始めるところだった。
「お疲れさま。さあ、座って。ご飯にしよう」
 由季の夫が立ち上がり、ご飯をよそってくれる。
「紗季たちはもうお風呂に入ったよ」
「多季くんは真季の隣に座って」
「ダメ。紗季の隣!」
 きゃっきゃとはしゃぎながら多季にしがみついてくる女の子たちを、いとおしそうな表情で多季が抱え上げる。そんな多季の姿を見て、菫の頬も自然と緩んだ。


 →36
 34


にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ
にほんブログ村
関連記事
スポンサーサイト

Posted on 2017/04/30 Sun. 00:00 [edit]

category: 春風

thread: BL小説  -  janre: 小説・文学

TB: --    CM: --

30