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Harmonia

オリジナル小説

春風 60 


 劇場を出てもなお、まださきほどまでの舞台の余韻が冷めず、頭のなかで音楽が流れ続けている。それは多季も同じようで、ふたり無言のままビルを出て、あてもなく歩き始めた。
「これからどうする? 夕飯食べる?」
 ふいに多季にそう訊ねられ、菫はぼんやりとした頭のまま、しばらくの間考え込む。
「……俺はまだ全然腹減ってないけど」
「……うちに、来る?」
 その遠慮がちな声のトーンに、多季がまだしばらくの間音信不通だったことを気にしているのが伝わってきた。
「うん。行きたい。多季さんを抱きたい」
 菫は即答する。これまでに口にしたことのないような直接的な台詞によほど驚いたのか、多季が目をぱちくりとさせている。
「……そんな気分じゃない?」
「いや、そうじゃなくて。……あ、ダメだ……」
 挙動不審に頭をくしゃくしゃと掻くと、躊躇いがちに菫の方に手を伸ばしてくる。
「……僕も、……菫に抱いて欲しい」
 まるで初めての夜を迎えた恋人同士のように頬を真っ赤にしてそんなことを言うから、あまりの可愛いらしさに悶絶してしまいそうだった。必死に平静を装いながら、差し出された手をぎゅっと握り返すと、多季は上目遣いに菫を見つめた後、照れ隠しのようにもう片方の手で菫の鼻先を摘まんできた。
「……前に、『すごく憧れてたひとがいた』って言ってたよね。初恋かも知れないって言ってた。……あれが、今日の恋人役のひと?」
「そうだよ。……って、いまの話の流れでそれ訊く?」
 多季が頬を赤らめたまま口を尖らせる。それでも気分を害した訳ではないことは、そのやわらかな表情から伝わってきた。
「うん。聞きたいよ。……だって彼、ものすごく格好良かった」
「……確かに、そうだね」
「名前は?」
「士武修鷹(しぶみちたか)。ブロードウェイで活躍するミュージカル俳優で、僕が前に所属してた劇団の先輩だったひと」
「……ってことは、……多季さんも舞台に立っていたってこと?」
「そうだよ」
 そう言って、多季が告げたのは、その世界にまったく疎い菫でさえ知っている、有名な劇団の名前だった。多季はヨガ教師になる以前、その劇団のダンサーとして活動していたのだと言う。
「そうなんだ。……多季さんはてっきりバレエ一筋で生きてきたのかと思ってた」
「僕もそのつもりだったんだけどね」
 ほら、と言って、多季が舞台さながらのキレのあるソウルダンスを踊り始めた。
「すげー!」
 興奮して思わず叫んだ菫に、多季が動きを止めて笑う。
「ミュージカルは何でもありだから、ジャズダンスもヒップホップも、なんだって踊れるよ。もちろんダンスの基本はバレエだから、それが踊れるってことが大前提なんだけど」
「……多季さん、実はとんでもないひとだったんだ」
「全然。だって本当にとんでもなかったら、さっき観た舞台の上にいるはずだろ」
 多季が苦笑して、そう言った。
「……でも、憧れてたんだ。士武さんにも、ニューヨークにも。いつか必ずブロードウェイの舞台に立つって、自分は必ずやれるって、そう信じてた」
 でも結局ダメだったんだけどね、と多季は淋しそうに微笑む。
「多季さんの話、聞きたいな」
「いいけど、……長くなるよ」
「いいよ。朝まででも、一日かかっても聞くから」
「ダメ」
「……どうして?」
「言っただろ。……いまは菫に抱かれたいって」
 甘えるように胸に頬を擦りつけてくる。
 大きく頷いた後、胸のなかに多季の身体を抱きしめると、多季は菫に身体を預けて、照れくさそうに微笑んでいた。


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Posted on 2017/06/04 Sun. 00:00 [edit]

category: 春風

thread: BL小説  -  janre: 小説・文学

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