FC2ブログ

08 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 10

Harmonia

オリジナル小説

春風 64 


 翌朝、まだ覚めきらない頭で腕を伸ばし、多季の気配を追い求めるも、すでに多季はいなかった。
 完全に目覚めるまでベッドのなかで身体のあちこちを伸ばした後、ゆっくりと身体を起こす。洗面所に脱ぎ散らかした衣服を手早く身につけ、冷蔵庫のミネラルウォーターを一口飲んでから、一階のレッスン室に降りた。

「あら、おはよう」
 そこにいたのは多季ではなく、レオタード姿の由季だった。レッスン前のウォーミングアップだろう。床の上でぺったりと開脚をしている姿を直視するのも躊躇われて、微妙に視線を逸らして「おはようございます」と返した。
 寝癖でぼさぼさの頭を両手で押さえながら、「あの、多季さんは……」と訊ねてみる。
「多季なら出かけたわよ」
「え?」
 確か仕事は休みだと言っていたはずだ。きょとんとしている菫に微笑んで、由季が続ける。
「近所のベーカリーよ。菫くんに焼きたての美味しいパンを食べさせたいって」
「……はあ、」
「あの子、菫くんのためなら月へも飛んで行ってしまいそうね」
 と、由季はさも可笑しそうに笑った。由季の話では、多季は今朝も早くからレッスンを行なっていたのだと言う。
「……昨夜も遅かったのに、相変わらずすごい体力だな……」
 感心して思わず零すと、「多季にとって踊ることは、呼吸するのと同じことだから」と由季がさらりと言った。
「いままでの生活が異常だったのよ。踊らないあの子は、死んだまま生きているのも同然だと思ってた」
 由季の台詞に、以前多季が言った、「僕の踊りは一度死んでしまったから」という言葉を思い出した。

「だから、多季をもう一度踊らせてくれた菫くんには、本当に感謝してるの。……多季はいまヨガ教師としてちゃんと生計を立ててるし、ヨガを否定するつもりはない。……でもね、踊るために生まれてきたあの子にとって、いまの生き方は必ずしも最高の道ではないって……私は、どうしてもそう思ってしまうの」
「……」
 それは多季がふたたび踊り始めてから、菫の心のなかで感じていたこととまったく同じことだった。菫は黙ったまま、由季の瞳を見据えて大きく頷く。

 あ、そうだ、と言って、由季が立ち上がり、ドアの横に置いてあるキャビネットを開けた。
「これ、バレエ関係のものだけだけど。小さい頃からの多季のアルバムよ。見る?」
「見たいです!」
「姉の私が言うのもなんだけど、小さい頃はまさにリアル天使ちゃんだったのよ」
 そう言って茶目っ気たっぷりに微笑みながら、菫にアルバムを渡してくれた。


 →65
 63

にほんブログ村 小説ブログ BL小説へ
にほんブログ村
関連記事
スポンサーサイト

Posted on 2017/06/08 Thu. 00:00 [edit]

category: 春風

thread: BL小説  -  janre: 小説・文学

TB: --    CM: --

08