Harmonia
オリジナル小説
花びら
世間がバレンタインデーだのチョコレートだのと浮かれ上がっているいまこの時にも、俺は薪ストーブの上で湯気を上げ始めたぶり大根のアクを取りながら、ラジオから流れてくる音楽に合わせて鼻歌を歌っている。
あなたへの想いが、この花びらに乗って、どうか届きますように。
あまく優しい声音でそう歌う男は、どんな恋をしたのだろう。
無口で純粋で、でも心のなかはいつだって凶暴な嵐が吹き荒れていたのだろうか。
彼に恋い焦がれていた長い年月を思い出し、そんな思いに耽っていたら、ふいに電話が鳴った。
無理しなくてもいいよ。こっちは雪、結構降ってるから。
うん、うん、……待ってる。
電話を切って、はあ、と息を吐き出す。
『いや、行くから』
迷いのない答えが嬉しくて、自然と頬が緩んだ。
深夜零時をすこし過ぎた頃、砂利道を踏むタイヤの音が聞こえて、俺は家を飛び出した。
外はつんと尖った寒さだ。いまは降っていないが、雪がうっすらと地面を覆っている。
「寒い」
車から降りて、そうつぶやきながら身を竦めたから、俺は腕を伸ばして、彼を抱きしめた。
「雪、平気だった?」
「途中かなり降ってて、怖かった」
彼は決して物事を大げさに表現しないひとだから、怖かった、というのは、実は本気で怖かったのだと思う。
そんな思いまでして、こんな夜中に、わざわざ俺に会いに来てくれたくれたことが嬉しくて、しあわせで、俺はいつまでも彼の身体にしがみついていた。
「寒いから、早く部屋に入れて」
俺の頭をぐしゃぐしゃと撫で、困ったように笑いながら、彼が言った。
薪ストーブを囲むように座って、冷えた身体を温める。ミルクパンで温め直したカフェオレを、マグカップになみなみと注いで手渡した。
「これ、」
彼が差し出してきたのは、大きな紙袋だ。その中身が何であるかは、分かっている。
「今年も豪勢だね」
「……義理だよ。もうおじさんだし」
「何度だって言うけど、自分のこと『おじさん』って言うのはなしで」
紙袋のなかから、ひとつずつ取り出す。
上品なラッピングを施されたそれらは、どう見ても高級品ばかりで、俺は湧き上がる憎悪の念を必死で押し殺しながら、ひとつひとつ開封する。
この一日、彼はどんな顔をして、これらを受け取っていたのだろう。
きっと穏やかな微笑みを浮かべて「ありがとう」と言っただろう。
その笑顔にまた、チョコレートを渡した女の子たちは、胸をときめかせたかも知れない。
メッセージカード入りのチョコレートは三つだった。カードを差し出すと、彼はさらりと目を通した後、俺に返してくる。
「読んでもいいし、このまま捨ててもいい」
俺はにっこりと笑って、薪ストーブのドアを開けると、ゆらゆらと燃える炎のなかにそれらを放り込んだ。
「でもやっぱりめちゃくちゃ妬けたから、今夜は俺の好きにさせて」
そんな俺の申し出に、「仕方ないなあ」という顔で鮮やかに微笑みながら、彼が頷いた。
喉元に、噛みつくようにキスをする。肩や鎖骨、胸の先にも。
その度にびくりと跳ねる彼の、いちばん敏感な背後に手を回しながら、徐々に身体を下へとずらす。
「ここも、ここも、……全部俺のものだから」
「ああ、」
「でも、ほかのひとは知らないから。それが嫌なんだ。頼むから、あなたに恋する瞳を向けないで欲しい」
「売約済みの札でも貼っておく?」
そう彼が笑うから、「本気でそうしたい」と言って濡れた先端を舐めると、彼がふるりと身体を震わせて、あまい吐息を漏らした。
「いいよ。……全部、おまえの好きにしろよ」
喘ぎ声の合間に、彼がつぶやく。
「貴也さん、……愛してるよ」
「……俺も、愛してる」
この胸の想いは言葉では到底伝えられるわけもなくて、けれどもどうにかして伝えたくて、俺は彼を抱きながら、うわごとのように幾度も「愛してる」と囁き続けた。
石油ストーブを付けたままの、冬の匂いのする部屋で何度も抱き合って、力尽きた頃には薄明かりが窓から差し込んでいた。
最後の力を振り絞って、起き上がる。宴の後の散乱したベッドの上を片付け、新しいシーツに取り替えてから、窓の外を眺めた。
雪の朝は、しん、と音が聞こえてくるほどの、静けさだった。重々しい薄灰の空と対照的に、どこまでも白い景色。めったに見られない景色だから、子どもの頃のように胸がざわめいている。
それは彼も同じようで、俺の傍らに立ち、まるで誘われるように同じ景色を眺めた後、「ちょっとだけ」と言って、窓を開けた。
冷たい風に乗って、ものすごい勢いで雪が舞い込んでくる。寒さに身を縮める。
窓を閉めた彼の髪に、まつげに、雪の花びらが散っている。
あなたへの想いが、この花びらに乗って、どうか届きますように。
そう願いながら、すっかり冷え切った彼の身体を、強く抱きしめた。
おわり
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